いよいよ2006年も一週間を切りましたね。
今年は自分自身でも実に色んなことがあった内容の濃い一年でした。
去年の大晦日から始まった義理の父親の入院劇、そして逝去。今年の幕開けは病院通い、そして葬儀のゴタゴタから始まりました。
2年半前に刑務所を出所して以来、ようやく仕事のために蒔いていた種が芽を出してきた年でもありました。以前から少しずつやってきた文筆稼業で一定の収入が得られるようになったのも今年でした。仕事面では満点以上の成果を挙げられた一年だったと言えるでしょう。来年もこの勢いを持続していきたいと思いますが、さすがに今年は出来すぎだったので、来年にここまで期待するのは酷かも知れません。
仕事面が慌しくなるにつれて、外国為替取引は少し板を見る回数が減って、トレードチャンスをかなり逃してるように思います。ユーロとの相性の悪さは今年も変わらずで、現在もユーロ円とユーロドルで下らないポジションを保有しています。来年はユーロという通貨を忘れて取引するくらいの勢いでいきたいと思います。目標利回り30%は来年も堅持して頑張ります。
周りを見渡してみると、大阪は景気のどん底を抜けたような感がありますね。大阪の繁華街は賑わいを取り戻しているように見えますし、中国景気やウォン高の影響でしょうか、中国人や韓国人の観光客をとにかくよく見掛けるようになりました。彼らが大阪の個人消費を一部分下支えしてくれているのは明白ですね。
それにしても繁華街には風俗若しくはそれに近い店が増えたなぁと思います。風俗店を案内する無料案内所というのは以前からありましたが、宗右衛門町を歩いてるとそれしかないように見えます。しかも無料案内所って午前1時で店を閉めることが義務付けられてるので、1時を過ぎるとゴーストタウンみたいになってしまいます。あれって景観壊してるなぁと思います。皆そんなに風俗遊び好きなんですかねぇ?
社会に目を向けると、年明け早々にホリエモン逮捕、そして芋づるのように村上ファンドにも捜査のメスが入りました。どちらもマネーゲームの寵児でこれまでとは全く違うアメリカ型の金儲けを体現して見せたのですが、やはり日本人のメンタリティには合わないんでしょうね。私個人としてはどちらも応援してたんですが、やはり村上ファンドが阪神電鉄に手を出した時はモロに利害関係が発生したので潰れてくれればいいのに、と正直思いました。利害が絡んだ時の人間なんてこの程度の判断力しかありません。このお二方はやたら目立ったので逮捕されましたが、見えにくいところで似たようなことをしたペイントハウスなんて全くお咎めなしですから、やはり日本は出る杭が打たれる国なんですね。私が逮捕された時に検察官が吐いた「アナタは目立ちすぎた」という言葉が思い起こされます。
ファイル共有ソフト「Winny」を開発した金子氏が逮捕され、12月になって判決が出ました。罰金150万円です。Winnyを使って著作権のある映画を共有した人が居て、その著作権侵害を幇助した、という罪です。優秀な頭脳を持った人がソフトを開発しても、それを使う人間が違法行為をすると開発者まで断罪されるという前例を作ってしまいました。同様の裁判がアメリカでもあったんですが、こちらは無罪です。今回のWinny判決は、よく切れる包丁を作った鍛冶職人が、その包丁を使って誰かが人を刺したとして断罪される可能性すらあることを見せ付けました。まだ裁判は確定していませんが、このまま確定するようなら日本の優秀な開発者は全員アメリカに行くべきです。
逮捕と言えば、私が長きに渡って付き合いを続けてきた人が今年ようやく出所しました。この人はかれこれ7年くらいにわたって4連続で懲役に行き続けている男前です。確か事件名は覚醒剤、傷害、覚醒剤、覚醒剤という内訳だったように思います。さすがに私も愛想が尽きてたのですが、「本日出所」にネタを提供してくれていることもあり、今回の出所までは面倒を見ることにしました。これまでと同じ務め方なら意味が無いので何かこれで最後にするという証拠を見せて欲しいと要求しました。刑務所で何か資格を取るか仮釈放を勝ち取る、この2点に向けて本人も努力した結果、3年6ヶ月という懲役の中で1ケ月という短さですが、仮釈放を勝ち取ったのです。ひとまず目標達成ということで私も今回は違うなと思ったんですが…出所から6日目、急に連絡がつかなくなりどうしたのかと思ったら京都で乱闘騒ぎを起こして仮釈放取り消しとなったとのことでした。本人にすればたかだか1ケ月刑務所に入るだけなので何とも思ってないと思いますが、私にとってこの事件を大きな意味を持っており、完全に失望したのは言うまでもありません。12月7日に改めて出所したようですが、迎えに来て欲しいというのも無視して行きませんでした。本人は何度か私に連絡を試みたようですが、私が無視するので結局故郷の沖縄に帰ったそうです。本人はそれで全てを忘れて沖縄での生活を、と考えてるかも知れませんが、私にとってはこの7年は一体何だったの?と無力感が漂っています。
一年365日もあると、良いこともあれば悪いこともあります。差し引きしてみると、良いことのほうがはるかに多い、とてもいい一年だったと思います。